「ブレードランナー2049」について誰かと語り合いたくて仕方がない
1980年代、21世紀というのは遠い未来だった。
21世紀について想像するとき、人々はみな少しのワクワク感と漠然とした不安感を
抱いたものだ。
いったい20年後の未来がどんなものになるのか、まったく想像がつかなかったからである。
1982年に公開された映画「ブレードランナー」は、まさにワクワク感と不安感の両方を兼ね備えた未来像を描いていた。
この映画が、SF作品の金字塔と呼ばれるゆえんはそこにある。
人々の想像する未来を具現化した映像がバーンと突きつけられて、
いさぎよく「これが2019年の世界です。」と披露されているようなきちんとした世界感があった。
「はぁ。なるほど、これが未来かぁ」と妙に納得までさせる世界観を構築している。
映画に限らず、SF作品に一番欠かせないのは、きちんとした世界感だと思う。
ブレブレの世界感では、物語に入り込めない。
1982年の映画「ブレードランナー」で描かれていたのは、2019年の世界。
2017年の今年、続編である「ブレードランナー2049」が公開された。
早速、観に行ったのだが35年の時を経ても色あせないブレードランナーの世界に
どっぶりと浸ることができた。
相変わらず暗い。
そして、寂しくて悲しい映画だ。
けれども、前作同様、『人間とは何か』という根本テーマを深く考えさせられる作品になっていた。
人間とレプリカント(アンドロイド)が共存する世界では、感情を持たないはずのレプリカントの方が、圧倒的に人間味がある。
暖かい心を持ち、他人を愛すことができるのだ。
特に、映画の冒頭ブレードランナーのK(ライアン・ゴズリング)と対峙するネクサス8型サッパー・モートン(デイヴ・バウティスタ)の解任シーンは悲しすぎた。
さっそくブレードランナーのKは、ヒーローではなくなる。
主役がヒーローではないというのは、前作のDNAをきちんと引き継いでいるのだが、仕事とはいえ、超絶にいいヤツであるモートンを解任(処刑)しなければならないKの心が、一糸乱れない場面は悲しいものがあった。
レプリカントであるKもまた、いいヤツだからだ。
仕事を終え家に帰るとKは、壁にあるスイッチをオンする。
すると、ホノグラムのJoiが現れ、「おかえりなさい。今日は腕を振るってお料理したのよ」なんてエプロン姿でかわいいことを言う。
Joiにデレデレして癒されるK。いいヤツじゃないか。
人間とまったく同じである。
Joiは、ホノグラムなのでホノグラムを発生する機械の中にしか生きられない。それでも、Kのことを心から愛している。
そのようにプログラミングされていると言ってしまえばそれまでだが、ホノグラムを購入したK自身もJoiに愛情を感じている。
このJoi(アナ・デ・アルマス)は、男の願望を具現化したような女性だ。
ぽってりとした唇に、ウルウルした瞳で男を見つめて「愛してるわ」と、けなげにささやく。
彼女のけなげさといったら筋金入だ。ホノグラムゆえ、Kに触ることができない。キスもハグもそれ以上もできない。
どうにかしてKに触れようとJoiのとった行動には度肝を抜かれた……
けなげすぎると言ったらそうなのだが、さすがにちょっと男の願望入りすぎてないか?と思った。
Joiにしてみれば、それだけKのことを愛しているということなのだろう。
このJoiちゃんマジでかわいい。この未来の世界、男性だけズルいなと思った。私も欲しい。男版Joiちゃんが。
映画内でも、女性用の男版Joiを作ってほしかった。
ナイスバディの超絶イケメン(マット・ボマーあたりか?)が、「お帰りハニー。今日はいいワインを仕入れたよ。おいしいチーズも買ったから一緒に味見しよう」
なんてKの上司役ロビン・ライトを迎えていたら、完璧に2017年の現代を反映した出来栄えだったのに。
そんなアホなことも考えたが、映画館を出た時の気持ちは「よし!頑張って生きるぞ。レプリカントのように人間らしく!」という前向きなものだった。
映画のラスト、なんかまた続編があるのでは?と感じた。
「ブレードランナー」の世界感に浸るのが好きなので、できればドラマ化してほしいのだが、それは贅沢すぎる願望だろうか?
1623字(時間計るの忘れた~)