「オリエント急行殺人事件」はケネス・ブラナーの新たなる挑戦の第一歩となる作品
アガサ・クリスティの名作「オリエント急行殺人事件」
エルキュール・ポアロは、殺人を許さない。
殺人という卑劣な行為を憎んでさえいる。
殺人犯が若者だろうが女性だろうが老人だろうが、また、どんな特別な理由があろうとも、絶対に殺人という罪を許すことはない。
それが、元警察官でもあるポアロの揺るぎない信念である。
この信念は、アガサ・クリスティの小説ポアロシリーズすべての作品に共通して描かれているものだ。
「オリエント急行殺人事件」は、クリスティのポアロシリーズの中でも、名作中の名作であり、クリスティファンにも人気が高い。
なぜなら、犯人がポアロの信念にも関わってくる非常に特別な人物だからだ。
小説を知らない人でも、何となく内容を知っているというほど有名で、すでに何度も映像化されている作品でもあり、あえて今、映画化する意味があるのだろうか?
という疑問を、生粋のポワロファンである私は、映画を観る前から感じていた。
ポアロを語る上で避けて通れないデヴィッド・スーシェ版「名探偵ポワロ」
イギリスで制作されたTVシリーズ「名探偵ポワロ」は、クリスティのポアロシリーズのほぼ全作品にあたる70作品を、原作に忠実に映像化したTVドラマで、英国俳優デヴィッド・スーシェがエルキュール・ポワロを演じている。
スーシェが演じているポワロは完璧で、原作ファンから圧倒的に支持を得ている。
もはや彼以外のポワロは考えられないほどの完璧さである。
「オリエント急行殺人事件」も、もちろん制作されており、デヴィッド・スーシェ演じるポワロが、自らの信念に苦悩する姿は名演中の名演であり、原作ファンが太鼓判を押す完璧な出来栄えの作品に仕上がっている。
そんな完璧版がすでに存在しているのに、あえてまた映像化する意味とは何であろうか?
それを確かめるために劇場に足を運んだ。
ケネス・ブラナー版ポアロは、原作のポワロとは別人と考える。
本作のポアロ役そして監督を兼任するのは、イギリスの名優ケネス・ブラナー。
サー・ブラナーが関わっているからこそ、観に行こうと思った。
彼以外の人がポアロ役だったら観にはいかなかった。
本作を観る前に、私は原作ファンである事を忘れて、スーシェ版の印象をとにかく振り払い、なるべくニュートラルな状態で映画を楽しもうとあえて心構えをして臨んだ。
ブラナー版ポアロは、外見からして原作とは全く違う。小男でさえない。
正直、前半部分は非常に退屈であった。オリエント急行の美しさをCG映像で十分に表現はしているが、
ポアロ作品本来の醍醐味である、謎解きをする際のポアロの存在感を体感することはできなかった。
クリスマスシーズンにピッタリ!とばかりに集められた豪華キャストたちも、それぞれの良さを生かし切れていない。
そんな中でも、ラチェット役のジョニー・デップだけは、役柄のおかげもあるがインパクトを残していた。
ラチェットは悪事で儲けているイヤなヤツだが、顔にゲスさを浮かべたワルの表情は絶妙だった。悪くていい顔をしている。演技であの表情を表せるのだから大したものだ。
前半の印象は、ジョニー・デップはやっぱりいい俳優だなとは感じたが、ほかに特段気を惹きつけるものがない。
シェイクスピアを知り尽くした男ケネス・ブラナーが描くクリスティの世界
映画を観に来たことを後悔しかけたが、ラスト15分突然映画がおもしろくなった。
ポアロが乗客全員をトンネルに集め謎解きをする場面から、ケネス・ブラナー劇場がスタート!
本作「オリエント急行殺人事件」では、ポアロ作品本来の魅力である謎解きの醍醐味の部分をそぎ落とし、殺人事件が起こってしまった原因そして、殺人犯の悲しみ、苦悩、後悔について描いている。
ブラナーが演じるポアロは、原作のポアロ像とは程遠くほぼ別人ではあるが、その信念はきちんと引きついでいる。
原作とは登場人物も少し違うので、クリスティのポアロ精神を引き継いだスピンオフ作品として成立している。
殺人の容疑者が12人という群像劇の中で、人間の心理を浮き彫りにしていく描写はものすごくドラマチック。
殺人犯の怒り、悲しみ、喪失感、残酷さなど、殺人を犯してしまう悲しい原因を浮かびあがらせ、人間ドラマを見事に描写している。
その証拠として、本作では殺人シーンで涙することになった。
殺人シーンで感動するというのも珍しいことだ。
そして、これは意図してやっていたのかは不明だが、本来のポアロっぽさを弱めることによって、アガサ・クリスティ原作の中に込められているエンターティメント性がより浮き彫りになっている。
奇しくも、クリスティ作品はポアロという稀代の語り部がいなくても、十分に楽しめるエンターティメント性があることをケネス・ブラナーによって証明されることとなった。
つまり、本作「オリエント急行殺人事件」は、デヴィッド・スーシェ版ポワロを超えようとはしていない。
違う角度からのアプローチでクリスティの世界を表現しようと挑戦した映画になっている。
ケネス・ブラナーが作り出したポアロという名のスタイリッシュな探偵が、オリエント急行という閉鎖された空間で、殺人事件に遭遇し殺人犯と対峙するエンターティメント作品である。
古典をリニューアルするというケネス・ブラナーの挑戦
ケネス・ブラナー版ポアロは、イケメンでアクションまでこなすファッショナブルな紳士で、それはそれで魅力があるし、私はあのヒゲも悪くはないと思う。
監督業をこなしながら、あの隙のなさで主人公を演じられるケネス・ブラナーという俳優の凄みを感じた。
小説やTVドラマ版を知らない人は、純粋に楽しめるクリスマスシーズンにピッタリの映画だし、ポアロファンにとっては、あくまでも本来のポアロとは別物と考えれば、クリスティ作品が本来持っている設定力とストーリーの面白さを再確認できる作品に仕上がっている。
映画を観る前に感じた「今、あえて映像化する必要があるのか?」という疑問には、
こう答えたい。
映画のラスト15分を観るために観に行って良かったと思える映画だ。
ケネス・ブラナーが、監督として俳優として更なる高みに昇ったことを感じられる映画になっているからである。
シェイクスピア劇をはじめ、古典と言われる分野に、現代の新たな息吹を吹き入れ後世に伝えていくことがケネス・ブラナーの使命だと思う。
そのための新たな挑戦の第一歩としてアガサ・クリスティの名作「オリエント急行殺人事件」という作品を選び映像化したことは、意味があったことになるだろう。
それは、きっとケネス・ブラナーの未来の作品で証明することになると予感している。